これは、りすとらんが(あ・ら・もーどから)1992年に初出、1999年に加筆新版を出した冊子「PB history」のHTML版です。
カシオのポケット・コンピュータのシリーズに、PBシリーズというのがあります。 ポケコニストなら一度は耳にしたことのある名前だと思います。 そして根強いファンの存在するマシンでもあります(私もそのひとりでした)。
PBシリーズの誕生は1982年8月で、もう15年以上も前のことになります。 しかしながら、長いことコンピュータ誌にプログラムが掲載される、超ロングラン・マシンとなりました。 いったい、このPBシリーズの魅力とは何か? PB誕生からの歴史を振り返りつつ、皆さんと一緒に考えてみましょう。
PBシリーズの歴史で忘れてはならないのが、PBの前身であるFXシリーズです。 プログラム電卓のシリーズとして1979年にFX−501P/502Pが生まれました。 液晶7セグメントの表示ながら多彩な機能を持つ、充実したマシンでした。
その後、ディスプレイが5×7ドット・マトリクスになったFX−601P/602Pが登場しました。 この機種もPB顔負けのロング・セラーでして、長いことカシオのカタログに載っていましたし、私自身も1989年になって購入しました。
プログラム電卓とポケット・コンピュータの境目というのは、実に曖昧なのですが、「BASIC言語の搭載」をひとつの指標とするならば、次に登場したFX−801P/702Pが、カシオ・ポケコンの第1号となるでしょう。
この機種は、PBのBASICよりも機能は高かったのですが、爆発的なヒットとはならず、意外と目立たない存在となってしまいました。 なお、FX−801Pは、702Pにマイクロ・カセット・リコーダと20桁サーマル・プリンタが一体化したオール・イン・ワン・タイプで、ユニークな機種でした。
PB−100の発売は、あの「カシオミニ」ショック(1972年)ほどではないにしろ、各所に衝撃を与えたようです。 何しろ¥14,800という定価は、対抗機とも言えるシャープのPC−1210の¥29,800と較べても、破格とも思える安さだったのです。
ちなみに1982年と言えば、(何度目かの)マイコン・ブームのはしりの時期とも合致していますし、「マイコンBASICマガジン」,「Oh!PC」,「Oh!MZ」,「テクノポリス」,「POPCOM」,「LOGIN」などの雑誌の創刊も1982年です。
私がPBの存在を知ったのは、「テクノポリス」創刊号ででした。 さっそく秋葉原へ買いに行ったものの、予約がいっぱいとのことで、実際に入手できたのは、9月下旬になってからだったのを覚えています。
12桁のディスプレイ、標準544ステップのメモリ、音声出力はなし。 FX−702Pと較べても少し見劣りするかなという、このPB−100は、価格設定、時代背景、宣伝効果(伊武雅人氏が登場するTVCFなど)という追い風を受けて、急速に普及したようです。
「PB−100でBASICを覚えた」というひとが結構多いという事からも、それは裏づけされているようです。
PB発売から1年半が経って、新しいPB−BASICの搭載されたマシンが発売されました。 その名はPB−400とFX−710P。
旧BASICで大きく不満のあった点が解消されています。 主な改善点は次のとおりです。
まだDB機能(後述)はついていませんが、この時点で一応PB−BASICの完成形ができあがったようです。
そして、これ以前の機種(PB-100/200/300,FX-700P/802P)を旧PB(BASIC)、これ以降の機種を新PBと呼ぶのが一般的です。
持っている訳ではないのですが、個人的にはFX−710Pが好きです。 しかしながら寿命は短く、あまり知られていない機種なんですよねー(苦笑)。
前述のPB−400,FX−710Pがマイナな存在になっている要因のひとつに、PB−400発売の4か月後にはもう後継機PB−410,FX−720Pが登場、更に翌月には第2のベスト・セラー(変な言葉だなあ)PB−110が発売された、ということがあるでしょう。
PB−400とPB−410の違いというのは、外見的にはRAMカード・システム(RC−2/4)が導入されて、プログラムをポケコン本体から外して持ち歩けるようになったことですが、それよりも重要かつ本質的な違いというのがあります。 それがDB(データ・バンク)の搭載です。
DBというのは、一般のBASICのDATA文の部分が独立したようなもので、この機能をうまく使いこなせばPBの役割を2倍にも4倍にも拡げることができるというものなのですが、実際にこの機能をうまく活用した例を殆ど見かけませんでした。 ということは、結果的にはDBの搭載は時期尚早だったのかもしれませんね……。
この章から先は、正確にはPBではなくFXの歴史となるのですが、PB−100を源流としているマシン達でもあるし、一般にもPBと通称されているので、以降もPBシリーズとして書いていきます。
黒い2つ折りボディ、タッチ・キーとゴム・キーの採用、表示桁数の倍増(12桁→24桁)、関数の充実化(27関数→65関数)、表示キャラクタの追加……という、大幅なマイナ・チェンジ(笑)が行なわれました。
特にデザインの大変更に、私たちはど肝を抜かれました。 「全知全能」。 これがそのマシンFX−780Pのコピーでした。
CAP−X(CASLの前身)シミュレイタも載っており、学校教材としての確立もこの頃からではないかと推測します。
FX−780Pの所有者も結構多いところをみると、ひとつの節目のマシンとしての役割は果たしたようです。 もっともPB−BASICの終焉でもあったのですが……。
PB−BASICの特徴のひとつとして、固定変数と配列変数の領域が重なっていたということがあります。 具体的に言うと、以下の変数はすべて同じものを表わしているのです。
A(2) , B(1) , C(0) , C
それがついに1985年暮れに発売のFX−790Pからは、一般のBASICと同じDIM文が使えるようになり、3次元までの配列定義ができるようになったのです。
もっとも、以前のプログラムも動作可能なように、従来モード(DEFMモード)もついているのですが。
翌年、従来のスタイル(黒い2つ折りのボディではないという意味)のFX−740Pが出たのですが、これも欲しいなあと思っているうちに、新機種FX−860P(次章参照)が出たために、私にとっては幻のBASICとなりました。
この年の春、FX−840P/841P/860Pの3機種が発売されました。 それぞれユーザのニーズに合わせた性格になっています。
そしてここからBASICは一面刷新され、PB−BASICの面影は殆どなくなりました。
しかししぶといPB−BASIC。 PBLOAD命令やDEFMモードなどで、PB−100のプログラムも動作するのです。 もっともこれは、「PB−100のプログラムがエラーなく動く」のであって、PB−100用のプログラムを作成することは非常に困難になりました。
そしてこの後、PB−120,FX−870P,FX−890Pなどが発売され、現在に至る訳です。